「出来損ないのポンコツが社長になる??」

普通に勤めることが出来なかった出来損ないの私が辞めたい時に仕事を辞め、
やりたいことをやり、自分が売りたいものを売る。
たったそれだけのことを叶えるには起業するしかなかった。
そんな人間でも社会に存在出来るというサンプルがここにあるので、
これから起業・独立しようという方の参考になればと筆をとります。

~はじめに~

初めまして。
札幌でwillplantという映像、WEB制作の会社を動かして15年を迎えました。
吉井千博と言います。

『ちひろ』と呼ばれることが多いですが、『かずひろ』と読みます。

40年生きてきて同じ名前に会ったことが無かったのですが、
10年ほど前にバレエダンサーの西島千博さんが同じかずひろと読むと知りました。親近感~。

これって昭和のキラキラネームでしょうね。きっと (笑) 
(西島さんは数年前に、数博と改名してますが)

さておき。

私に執筆のご指名があったということは、何か役立つ情報を。ということなのでしょうが、
起業したい!でも大丈夫かな?と思っている方ならベストマッチ!のはず。

勇気が湧くことウケアイです。

~起業のきっかけは?~

まず、会社の生い立ちですが、私が32歳でこの会社を設立した理由は、
『もう勤めることができないな』と理解したという事です。
何か志があったとか、やりたいことをしよう!と決めたとかでは無いような気がします。

1)妻の病気。

精神疾患により目を離せなくなり、勤めていた葬儀社の業務が難しくなった。という理由です。

2)社長に失望

もうひとつは、この人の為に!と思っていた社長が『お金儲け』に走ったことで急激につまらなくなったことかも。

お金、利益を求めることは企業として扱く真っ当な事です。
しかしながら葬儀社として本当に心の通った式典で故人をお送りする事。
この当たり前の優先順位が下がったことに憤りがありました。

私はこの会社のソフトが優れていることに誇りを持っていたからです。

売りたいものが、会社の意向で売りたくない物に変わった瞬間です。

~起業までの道のり~

葬儀社を辞めてすぐ、制作業務に携わったのか?そうではありません。

小さい娘と妻を常に車に乗せながら、葬儀のお手伝い、催事の売り子、テキヤ、さまざまな仕事で生きていました。
9年間、葬儀社として務めましたが少数精鋭の会社でしたので、いつ呼び出しがかかるかわからないのです。

365日24時間です。
仕事を終え、家に着いた瞬間に連絡が入り病院へ向かう。
家族でお出かけの最中に連絡が入り、家族をタクシーに載せ替えて病院へ向かう。

真夜中に連絡が入り病院へ。
そんなことは当たり前の仕事でずーっと家族が2番目でした。
それが9年続いたのですから身も心もズタズタになっていました。
辞めたあとは月に20万円も有れば、のんびりとゆったりと暮らせるので生活は楽勝でした(笑)
なにぶん、病気の妻から目を離せないもので、常に一緒に居ることのできる生活を2年くらいでしょうか。
ノマドみたいなことをしていたのです。

これが独立して最初の頃のお話です。

なにも、志があって社長になっている人ばかりではないということです。
しかし、やりたいことはありました。

地球を救うことです。(真剣

当時は地球温暖化ブーム。
氷が溶けて海面水位上昇し、ツバルが海に沈む!大変だ!なんとかしよう!
みたいな時代でした。
(温暖化の真偽は皆さんの価値観にお任せします。)

じゃあ俺が救おう!と、

記念日に桜の木を『記念樹』

として植える。というサービスを北海道は美瑛町(富良野の隣町です)の農家さんと組んでスタートすることに。
※これも感動的な出会いだったのですが、長くなるのでリクエストが有れば書きます。

さらに温暖化により沖縄の珊瑚が白化現象して死んでいくのか!!それはいけない!!
「俺はそれを止めたい!」という事で養殖サンゴの海洋移植に成功した、
沖縄の金城さん(のちに映画化もされる人)と組んで養殖サンゴを桜の木同様、
記念日に海に植える。というサービスも追加。

まるでアカデミー賞を取れるようなビジネスをスタートしますが、

なんと全く売れない!!

想いだけでは成功しないということを知ったのが34歳くらいの頃でしょうか。

~起業に向いている人とは?~

ここまで私の起業のきっかけや当初の取り組みをご紹介してまいりましたが、
そんなスタートを切った私が早15年社長業を続けております。
決して世の社長さんはポテンシャルバッキバキで、意識が高くないと独立はできないんだ。。。
というわけでは決して有りません。
それを証明するのが私です。
ただ、いくつか大事な要素はあると思います。

そんなお話をこれからしていきますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。

吉井 (ロビン)千博

札幌で映像、web制作を行う有限会社willplantの代表。

メーカー営業→葬儀社に転職。9年勤めて退職。
家族でクルマに乗りながらチンタラとお仕事。
35歳でもう一度心に火がつき、北海道でブライダル映像業界へ。
トップの商品を作ったが、コロナで爆死したので次の文化作りの旅へ。
↑イマココ

WILLPLANT 公式
https://willplant.tv/

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